思い出して下さい



翼宿は夢を見ていた。

『井宿っ、お前どこ行くんや?!』
『どこって、俺の恋人の所に決まっているだろ?』

そう言って、井宿が翼宿の前から去っていく。
その隣にいるのは、翼宿の見た事のない女性だった。
後姿からも、その女性の美しさがわかる。

『待てや!!俺はお前の恋人ちゃうかったんか?!』
『何言ってるんだ?俺の恋人は、お前なんかじゃない。
さぁ、行こう』

井宿は女性の手をとると、翼宿に背を向け、そのまま歩いていく。

『井宿、井宿〜!!!』

井宿はこちらに振り向きもしなかった。
井宿の背中が小さくなっていく。

『俺のこと、忘れてもうたんか?』

翼宿はしゃがみこんだ。
涙も出てこなかった。

『井宿が忘れてもうたんなら、俺も忘れるで!こんな思い、ずっと
背負ってられへん・・・
忘れるんが、1番なんや・・・!』

夢の中で、翼宿は井宿を忘れる事だけを考えていた・・・





「おはようなのだっ、翼宿!」

井宿が翼宿を起こしにきた。
何度か呼びかけると、翼宿はようやく目を開いた。

「やっと起きたのだ〜。おはようなのだっ」
「ん・・・、あんた・・・誰や?」
「えっ?!」

翼宿が井宿を見る目は、赤の他人を見る目であった。



「せやから〜、俺はこんなやつ知らんて!」

あの後、翼宿と井宿はひとまずみんなの集まる食堂へと移動した。

「翼宿、あたしたちの事は覚えてる?」
「何言うとんねん、美朱〜!覚えとるわ、あほぅ!
それと、たまに、柳宿、星宿様、軫宿、張宿、だろ?!」

翼宿は1人1人を指差しながらそれぞれの名を呼んだ。
井宿を除いて・・・

「私たちの事は覚えてるのね・・・」
「しかし、何故井宿の事だけ忘れてるんだ?」
「さぁ・・・。井宿、お前何か思いあた・・・」

井宿の方を見ると、言葉は飲み込まれてしまった。

俯き、拳を力いっぱい握り締めていた。
体は震えている。

みんなは、何も言えなかった・・・

「あ〜、腹減った〜!飯はまだか〜?!」

ただ1人、翼宿だけがいつもどおりの明るさでみんなに振舞っていた。
しかし、それでも、井宿の事を見ようとはしなかった。

居た堪れなくなり、井宿は食堂を後にした。
みんなは、それを止める事が出来なかった・・・



「はぁ〜、よう食ったで〜!!」

翼宿は食後、部屋でくつろいでいた。

「にしても、みんな変な事言いよるで〜。あんなやつ、知らんのにな〜」

翼宿は一応(笑)一生懸命考えるが思いつかなかった。
その時、頭の中で、1つの声が聞こえた。

『翼宿さん、翼宿さん!!』

「だっ、誰や?!」

部屋の中を見回したが、誰の姿もない。

『翼宿さん、翼宿さん!』
「誰なんや?!」
『お願いです、芳准の事を、思い出して下さい!!』
「芳准って・・・?」
『お願いしま・・・』
「ちょっと、おいっ?!」

声がしなくなった。

「今のは一体・・・?それに、あの声、どこかで・・・・・」
「コンコン」

扉を叩く音がした。

「誰や?」
「オイラ・・・、井宿なのだが、入っても良いのだ?」
「えっ、あ・・・あぁ、ええで」

井宿が部屋に入ってくる。
翼宿の目の前で立ち止まった。

「なんや?」
「翼宿は、本当にオイラの事を忘れてしまったのだ?!」
「あぁ、俺はお前に会うたんは、今日が初めてやで?」

一瞬井宿の顔が曇った。
翼宿は井宿の事は覚えていないはずなのに、何故か胸が痛くなった。
井宿は、そのまま俯いた。

「あのっ、本当に俺はお前と会った事があるんか・・・?」
「・・・・・会った・・・?」
「へ?」
「オイラは・・・、オイラたちは、それだけの関係じゃないのだ!!」

声に怒りがこもっているのを感じた。
翼宿が1歩後退る。
しかし、それよりも井宿が速く動いていた。

井宿が翼宿に近づいたかと思うと、思い切り押し倒した。

「うわっ」

ドサッ

「オイラと翼宿はこういう関係なのだ!!」
「・・・・・・・・・・」
「・・・、翼宿・・・?」

翼宿の瞳は閉じられていた。

どうやら、井宿が押し倒した時に、打ち所が悪かったらしい。
気を失っていた。

「たすき・・・、翼宿、目を開けるのだっ翼宿!!」

翼宿の目は閉じられたままだった
井宿の目から、透明な雫が流れていた。

「たすき・・・、たすき〜!!」

井宿はそのまま泣き崩れた・・・





『翼宿さん・・・、翼宿さん!』
『んん・・・、あんたは、さっきの・・・』

さっきの声が再び聞こえた。
その主が姿を現す。

『翼宿さん、お願いです!あの人の事を、芳准の事を思い出して下さい!』
『あんた、誰なんや?』
『私は、香蘭と言います・・・。
それより、どうかあの人の事を思い出してあげて下さい。お願いします・・・』

その女性は、顔に手を当てると泣き出した。
相手の事をもっと聞きたかったのだが、翼宿はなにも言う事が出来なかった・・・。

『もう、あの人に悲しい思いをさせないで下さい・・・。私の代わりに、
あの人の傍にいてあげて下さい』
『なんで、そんなにあいつの事気にかけるんや?』
『それは、私があの人の、昔の恋人だから・・・』

はっきりとそう言った。
顔は悲しみの色を浮かべていた。

『昔・・・?今は、違うんか・・・?』
『私は、もうあの人の傍にはいけません。それに、今のあの人の恋人は
違いますから・・・』

そう言うと、その女性は翼宿の目をじっと見つめた。

『今の恋人は、あなたなんですよ、翼宿さん・・・』
『えっ?!俺が・・・?』
『私は、もう2度とあの人の傍にはいけません。もうあなたからあの人を
取る事はありませんよ』

悲しみの含まれた笑顔で、そう言った。
その顔が、再び翼宿を見つめた。

その時、翼宿の中に何かがよぎった。
それは、笑顔で自分の方を向いている、井宿の顔・・・

『あっ・・・、あれは・・・・・』
『もう2度と、忘れてはいけませんよ』

そういうと、その女性の姿は消えていった。

今度、翼宿には自分を呼ぶ男の声がした。
涙声だが、強く呼んでいる自分の声を・・・
翼宿の意識が戻ろうとしていた





「たすきぃ・・・めを、覚ますのだ・・・。もうオイラの事を、
忘れててもいいから・・・それでも良いから、たすきぃ・・・・・」
「ん・・・」

井宿が顔を上げた。
意識を取り戻した翼宿と目が合った。

「良かったのだ!!
さっきは、すまなかったのだ・・・。オイラたちの関係は、なんでも
ないのだ・・・。」

半分は、自分に言い聞かせているようだった。
涙を拭いて、笑顔を見せてみせる。

「さっ、起き上がるのだっ」

井宿は立ち上げると、翼宿へと手を差し出した。
が、その手はすぐに止まった。
翼宿のある言葉によって・・・

「ち、ちり・・・?」
「えっ、今、なんて・・・?」
「井宿・・・」
「たすき・・・、お前、オイラの事を・・・?」
「あぁ、思い出したで・・・」

井宿の目に、再び涙が出ていた。
しかし、顔は笑顔でいっぱいだった。

「たすきぃ〜!!!もうオイラ、どうしようかと・・・」

翼宿から抱きしめた。

「すまんかったな・・・。」
「にしても、どうしてオイラの事を忘れたのだ?」
「いや、それがな、多分昨日の夢が原因やないかと思うやけど・・・」

と言って、昨日見た夢の事を語った。


「なるほど・・・きっとそれなのだ・・・」
「夢やったはずやのに、すっごくつらかったんは覚えとる。」
「馬鹿なのだ、今のオイラには、翼宿以外誰も愛する人なんていないのだ・・・。
しかし、どうして思い出したのだ?」
「それもやな、多分夢のせいや・・・」
「夢・・・?」

「前の夢で井宿の隣にいた女が、さっき気絶してた時にまた現れたんや。
それで、俺にお前の事を思い出せ、って言ったんや。それと・・・。」
「それと?」
「その女は、お前の元の恋人やって・・・言ってた。でも、もうお前を
取ったりしない、ともな」

井宿はしばらく考えると、なにか思いついたようでいきなり翼宿の方を
向いた。

「翼宿!!その女性はどんな人だったのだ?!」
「えっ、確か・・・、綺麗な髪を2つ結びにしてて・・・。あっ、
『こうらん』って、言うてたで!!」
「香蘭?!」

髪型にその名前、そして、自分の元恋人・・・
それは、どう考えても、あの洪水で死んだ、自分の許嫁の香蘭であろう・・・

井宿がずっと黙り込んでいたのを、翼宿はただ見守っていた。

翼宿にも、あの人が井宿が昔洪水で亡くした許嫁である事は何となく
わかっていた。
きっと、その人の事を考えているのだろうと思った。

井宿が翼宿の方を向いた。

「本当に、良かったのだ」
「あぁ、お前の事忘れたまんまなんて、俺は嫌やで」
「オイラもなのだ。
さっ、みんなの所へ行こうなのだ!みんなも心配していたのだっ」
「そやな、ほな行こか!!」

2人は部屋を後にした。





『翼宿さん、芳准を頼みますよ・・・』











  ☆管理人からのコメント☆

はい!!
10000HITありがとうございます!!
8/19の22:32、だそうです(*^−^*)
まさか、こんなに早くに10000HITを迎えられるとは思ってもいませんでした〜
こんなヘボサイトに来てくださった方々、そして、この小説を読んで下さった方々、本当にありがとうございます!!

この小説のネタは、かなり前から溜め込んでいたものです。
でも、こういう形で使うとは思っていなかったので、ちょっとシリアスですね・・・
こんな時に配布して良い物なのか(−−;)
しかも、長い・・・
おまけに10000HITと何の関係もなしときた・・・

しかし!改めまして、10000HITありがとうございます!!
これからも、このヘボサイトをよろしくお願い致します(*^−^*)